ジャニオタ人生記(前半)
こんにちは。はんぺんです。
前回のブログでもちらっと書いたけど
中2でジャニーズの魅力に目覚め、
現在進行形でジャニーズを応援しているわたし。
中学生、高校生、大学、OL(いま2年目です)と移り変わるにつれて応援する担当もころころ変わってきたけど…
それぞれのグループに思い出があるし、中学生、高校生に応援してたグループは私の青春の記憶を占めてるし、今でも大好き。
そんな私のジャニオタ歴史について、友達とかにはペラペラ話してたけど、
言葉で残す機会が無かったので、改めてまとめてみますー!
中学校2年生〜中学3年生
ジャニオタ覚醒期
自担:大倉忠義(関ジャニ∞)
きっかけ:妹が所持していたポポロ
同時進行で応援:無し
今でも覚えている、ポポロ付録のピンナップ。
真っ黒に焼けた関ジャニ∞が浜辺で転がり、こっちを向いて笑顔で笑いかけている。
「え、この人誰?何でこんなに顔整ってんの、はぁ?世界一イケメンじゃん、はぁ?」
と食い気味に妹につっかかり、関ジャニ∞というグループの大倉忠義さんだということを知る。
今でこそ24時間テレビメインパーソナリティー、冠番組、ドラマ、映画と多方面で活躍している関ジャニ∞だけど、その頃はみんなが有名になり始めるちょっと前で、「関ジャニ?錦戸くんがいるグループだっけ?演歌?」程度の認知だった。
妹はというと、探偵学園Qに出ている山田涼介さんにヒトメボレ!好きなんだよ、まじで!状態。
私より一足早くジャニーズの世界に足を突っ込んでいたから、「お姉ちゃんもこっちに来たぜ!」と宣言してからは雑誌とか割り勘して買ってたなぁ。
そんな感じでジャニオタ人生が始まったのです。
この時期に体験したコンサート、遠征、エイター友達と関ジャニしばりのカラオケ、コンサートに着ていく「参戦服」(響きが懐かしい)選び、落書きで∞マークをたくさん書いたプリクラ…
どれもがみんな初めてだったから、
とてもとても大切な思い出になっている。
高校1年生〜大学3年生
エイトが一番!しかしDD否めない期
自担:大倉忠義(関ジャニ∞)
きっかけ:高校の友達(3人)
同時進行:重岡大毅(関西ジャニーズJr.)
関西ジャニーズJr.全般、
有岡大貴(Hey!Say!JUMP)
茶の間エイターとなった今でも、
「私はエイト産まれエイター育ちだなぁ。今でもリスペクトしてるなぁ。関ジャニ∞最高…今までもこれからも人生の一部…」と、彼らに想いを馳せる「エイターしみじみタイム」が定期的に訪れるくらいにはエイトへの思い入れは強いけど、
こうやって振り返ると、高校生〜大学生の私DDじゃね…?って気づいた
○有岡大貴 Hey!Say!JUMP
ヒガシノオカダイキ!
この時期、妹はジャニーズJr.岩本照さんに熱をあげていたけど、Hey!Say!JUMPの山田涼介さんも相変わらず好きで、CDやコンサートDVDも割り勘して買っていた。
そこではまったのが有岡大貴さんである。
可愛らしい顔と少し高い声、花が咲いたみたいな笑顔。
すごくチャーミングだけど、ダンスはとても男らしいし、DJとかやっちゃうし、好きな音楽R&Bとか言うし、メイキングでは一見年下組とわちゃわちゃ騒いでると思いきやどこか「お兄さん目線」な瞬間が垣間見えるからとんでもなくかっこいい。
そんなヒガシノオカダイキに魅せられた私は2回くらい、ジャンプ魂(あえてこの書き方をする)に足を運んだなぁ。
○重岡大毅 関西ジャニーズJr.
はい!ニシノオカダイキさんです
周りにジャニオタがわらわら居て楽しかった高校生活。
しかし、オタクということを隠していた友人もいて
その友人こそ、当時関西ジャニーズJr.の第一線で活躍していた中間淳太担だったのです。
関ジャニが好きなら関西ジャニーズJr.もぜっっっったいハマるからーーー!
と言って少年倶楽部in大阪を見せられ、まんっまと重岡大毅さんにハマりました。ええじゃないかー!
その頃はまだジャニーズWESTがなくて、関西ジャニーズJr.内に色んなユニットがあった時代。
今は辞めてしまったJr.もいるけど、あの時の勢いと力強さは本当にすごかった。
今もジャニーズJr.でも、色んなユニットがあるし、どのユニットもそれぞれの魅せ方、強みがあって本当にすごい。
だけど、あの時の関西ジャニーズJr.の存在感は本当にすごくてここで書いてしまうと膨大な量になってしまいそうなので、また後日。
はい!ここまでが私のジャニオタ人生の
前半
です。
後半〜現在までは、また後日!
(また後日!ってめっちゃ言ってる)